「笑う大天使」というのは川原泉さんの漫画(白泉社コミックス)です。
たまたま会話の中でその話題の時に出たのが「無知の知」についてでした。 (これは以前他でも書いたネタなのですが最近読んだ本にもっと詳しく書いてあったので再びネタに) この本の中で「無知の知」「知の知」「無知の無知」という言葉が出てきます(それはまぁ本を読んで頂くしかないのですが) その話をしていまして改めて思った事がソクラテスの「無知の知」いう言葉についてその意味が「自分は他人と違って自分には知らない事がある(無知である事)を知っている。」話と受け止められているのですね。 最近は結構それは違うよね~という話を耳にしますけど確かに実際はそういった意味ではありません。 ソクラテスは「自分が知らないという事を知っている。」のではなくて(それだと「知識が豊富な人間ほど凄い(偉い)。」といういわゆるソクラテスが嫌ったソフィストの考え方と同じになってしまいます) この言葉の真意は「真に知あるのは神のみで人間に許された知とは知らないという事実をその通り知らないと思う事にすぎない。自分自身を偽る事無くその事実をありのままに受け入れる。」と言う事なのです。 (以前このネタを書いた時は上手く言えなかったのですが納富信留著「プラトン」(NHK出版)に解り易く且つ明解に書かれていたので表現を借用させて頂きました。) つまりソクラテスが他の知者より勝っていた点は「自分には知らない事があるんだ」と言う事を自覚していたからなんですね。 そして他の知者達は本当は知らない事であってもそれを知っているんだという「思い込み」をして満足していると言う事です。 (これを納富氏は「思い込みという最大の無知」と表現なさっていました。) 大体「知らない事を知っている」なんて言い放つ様だったら結局知識のある方が偉いって言ってる様なものじゃないですか? そんなのいい話でも教訓でもなんでもないですよねぇ?
ちなみに「笑う大天使」は映画化されるとの事です。 どんな展開になるのでしょうか?というか配役が難しそうな気も・・・・
今回は笑う大天使の中にある「皇帝のものは肯定へ神の物は神へ・・・」の話です。 主人公達の通うの学校はミッション系なので聖書ネタが幾つか出てきます。
有名な話なのであまり説明は要らないでしょうが簡単にいいますと
イエスを好ましく思わない同士であるファリサイ派の人々とヘロデ派の人々がイエスに罠をかけようとしている話でその罠とはローマへの納税問題でした。 イエスが「税金は払うべきだ」といえばユダヤ教の非常に熱心なファリサイ派を敵にまわし一方「ユダヤ人はローマに税金を払うべきではない」と答えればヘロデ党つまりローマ支配を批判することになり体制批判で捕まえられるというジレンマを含む質問なんですね。 その時のイエスの答えがデナリ貨幣を持って来させて「これは、誰の肖像と銘か」と尋ねる。 当時なら貨幣に皇帝ティベリエスの像が彫ってあるわけです。 そして有名な「皇帝のものは皇帝に、神のものは神へ」な台詞が登場します。 これが相手に一切反論の余地を与えない見事な返答というものです。 この台詞に強烈な皮肉が込められているのが面白い。 大体普段はローマ皇帝の肖像に関してありがたってもいないのに税を払うときになると信仰に対して敬虔になるんですか?というもの。 或いはデナリ貨幣には皇帝の偶像が彫られているんだからローマ帝国への税に使うんだろう。 そしてそれとは別にも神殿には貢物をしているじゃないか?という事実。 つまり神殿の内部でデナリ貨幣を両替(偶像崇拝を禁止しているので古い貨幣に両替をして神殿税を納める事になっている)している。 結局は神殿にも税を納めている羽目になって苦しんでいる民衆の気持ちを代弁して当時の様々な体制(要は王権神授説の類?)を批判したに過ぎないというものであるという話。 そういう事に我慢出来なかったのがイエスなんですね。 何故この話題を取り上げたかというと一昨年国立西洋美術館でプラド美術館展がありましてそこに「神殿から商人を追放するキリスト」という油彩画がありましてそれを見た時どうして神殿で商売なんかしている人がいるのだろう?と気になった記憶がありまして後に本で「宮潔め」という話を読んでこの事があの絵の題材であると気付いたのでした。
話は変わりますがこの「皇帝のものは皇帝へ、神のものは神へ」の例えはキリスト教の聖俗分離を述べているといいますね(単に税金問答だとする意見もあります。私はその意見に賛同ですが) とにかく聖俗分離がキリスト教では可能であったのは確かです。 しかしイスラム教にそれが可能か?となるとどうも相当難しい。 来年行われるイラクの選挙は手続きさえもうまくいっていませんがそもそも選挙とか議会制度を理解出来ているのでしょうか? 日本は宗教分離は容易でしたし何より敗戦占領下というのがアメリカ主導の民主主義を受け入れる気運になったんじゃないかな?と思ったり。 今回のイラク戦争ってどうもアメリカの独断専行気味であった事の問題点がここにあると思うのですよねぇ。 日本も敗戦という贖罪意識があったからこそアメリカの占領政策をより容易に受け入れられた部分は間違いなくあったと思います。 しかし今回の戦争でイラク国民は多少理不尽を感じてもアメリカが主張する政策を(不満があっても)納得出来るものが今回のイラクには無い気がします。 だからむしろ強引さに反発ばかり起きているのが現状な気がするんですよね~ そうなるとそういった不満を和らげる緩衝材みたいな役割が出来るのは日本が最も適しているかもしれない。 自衛隊等もも国民的なコンセンサスを得た上で活動出来ればそういう有意義な活動も出来そうですが派遣条件がもはや憲法違反だとかいう状態じゃ何も出来ないですねぇ。 その為に改憲がいいとは必ずしも思いませんが色々な意味で国民の総意を確認する必要もあると思います。 そういった事を自分達で決める事無しに常任理事国入りなんて果たせるわけがありませんからね。
ちなみに笑う大天使ではこの「神のものは神へ・・・」という教訓から主人公らは「イタリアの変態はイタリアに(返すのが筋)」という素敵な結論へと導きだす、という素晴らしい?お話ですので是非興味を持った方はご一読を。 いや本を読むってこういう風に無意味に思わない所で知識が繋がって面白いと思うのですよ。 それが漫画だろうが気難しい本であろうが意外な点で繋がりや発見を見つけるという点で楽しいと思うのですよ。
これは補足みたいなものです。 現代戦争論(中公新書)を読んでいましてここにLIC(Low-Intensity-Conflict:低強度紛争)という聞き慣れない語句が出て来るのですね。 LICは簡単に定義出来ないのですが今で言えばまさにテロとの戦いが一番わかりやすい例でしょう。 テロやゲリラは今まさにイラクで頻発している事態ですからイメージもし易いかもしれません。 この本を読むとLICの要因は西欧近代国家からなる近代世界システムの普遍化、 つまり西欧文明や資本主義・民主主義のといった西欧の近代主義による世界の西欧化から来ているとあります。 西欧近代主義のグローバル化が世界の分断・従属・西欧化を世界各地にもたらしそれに伴う宗教問題・西欧化問題といった様なLICの争点を形成しそれに対抗する側(主に非西欧世界側:今で言えば中東でしょうか?)の抵抗を生むという事なのですね。 この本は10年前に出版されているのですがまさに現代の世界における紛争の原因が説明されているので驚かされました。 というよりこれらの問題は同時多発テロによってクローズアップされた問題に過ぎないという事で結局今迄にそういった問題に目を向けようともしていなかったんだと思います。 こういった本を読むと改めて国際感覚の認識の欠如を感じてみたりするわけですよ。 いや本当に知らない事って多いわ(当たり前ですが)
またこの本の記述で印象に残ったのは、 思想・宗教といった「名誉価値」に関わる争点は妥協の余地の無い非和解的な争点である為、一方が自らの思想・宗教を放棄しない限り平和的手段による解決は望めない。 とあった箇所です。 確かにそうですよねぇ・・・ となると余程叡智を絞らないと解決法は見出せないというのに大体が一方的に自分達の価値観を(善意でという点が問題をより困難にしている気がします)押し付ける形になってしまっているのが問題をより複雑にしているという側面もありますからね。
それと笑う大天使の中に聖書の「怪力サムソン」の話が出てきます。 最近観たDVDのONCE UPON A TIME IN MEXICO(デスペラードの続編)にこのエピソードから取ったサンズというジョニー・デップが演ずる役があります。 これがまたカッコいいんですね。ある意味主役のバンデラスを喰っっちゃてるかも? 本来憎まれ役なのに最後には善玉みたいな扱いになってるのはデップの演技の巧さだと思う。 あと本当に音楽がいい映画です。実に素晴らしいのでサントラも聴いて欲しいですね。
笑う大天使から広がる知識の輪というタイトルはともかく 本を読んだり映画を観たりすると様々な面で知識なんて堅い物じゃなく興味とか面白さなんかがリンクするんですよね。 本でいえば昨日まで知らなかった事を本を読んでたった今知った事がそれが昨日ブログに書いた文章に繋がったりするなんていうのが面白いじゃないですか? まぁそんな事がたまたまあったからネタにしただけなのですが(笑)
だから読書って好きさ~ ちなみにこの無知の意味に関しては「哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々」ちくま新書 に詳しく載っています。
|