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いや勿論あるでしょうけど。
ただ女性から男性へのセクハラが一般化していないのは「逆」という言葉からも伺えますよね。
しかしこれもオタクという言葉と同等に明確な基準が無いから厄介です。
セクハラは勿論いけない事ですが例えば泥棒や殺傷行為のような行動の結果や程度による認定が出来ないグレーゾーンが存在する訳です。
これが面倒でグレーという色は立場や考え方によっても白とも黒とも考える事が出来るじゃないですか?
そもそもこれがセクハラ行為云々の問題ではないわけで要は当事者同士が許すか許さないかで決まり得るから認定が難しい。
簡単に言えば包丁で人を刺せば犯罪で刺された方が許せば情状酌量は認められるでしょうが犯罪そのものは無くなりませんからね。

話を戻すとなぜセクハラをするのが殆ど男性なのかという事で逆を言えば何故女性はセクハラをしないのか?
生物学的に考えるとオスがメスの気を引くのが常だとかその社会性(違う種び猿で見られるオスが優位である猿とメスが優位な猿では性交渉の質・優位性が異なる)とかも考えられるのかもしれない。
そう考えると男性優位社会の反映ともいえるのかもしれない。仮定の話で女性の社長がでセクハラに対し厳しく考える会社であればセクハラは起きない可能性が高い)
そう考えると明らかにセクハラに対する男性側の認識が甘いと言えるだろう。
なにしろ明確な事はセクハラをする方はそれが許されると認識しているのだからその認識を変えない限り無くならないだろう。
しかしこの事を考えると男性と女性の性差は根底の原因にはならない気がしてきますね。
つまり男はスケベだからセクハラをするという認識は当てにならないんじゃないですかね?
よく考えてみれば男性の性的好奇心や性的衝動が最も大きいのはまぁ思春期だと思うのですよ。
つまり高校~大学生位の年齢の肉体的にも若いですし同様に精神的にも大人よりは幼い。
でも間違っても学校内でセクハラのような行動があるかというと無い。そんな事をしたら退学になるとかのペナルティを負う事になります。
つまり性的な衝動を抑制する外部からの力があればスケベ心の有無は行動には反映されないという事ですよ。
それが最も顕著なのが性的暴行に顕れていますと思うんですよ。
川原泉さんの漫画(タイトル忘れてしまった、誰か教えて下さい)で主人公の女の子が生理の辛さを男性に解って貰えない場面で男にも生理があればいいんだ!って思う場面があって更に空想で男も妊娠する事まで考えてる話があったんですね。
つまり妊娠は男女に等しく可能性があってそこで運が悪い方が(っていう言い方もなんだか変ですが)妊娠するんだそうです。
そこでマタニティスーツを着て出勤する旦那の絵があったような気がします。
何故こんな話をするかというと男女のスケベの差は存在しない、というのは言い過ぎでしょうが(大体個人差もあるのですし)あまり性的行動に与える影響の差はスケベ度(ってエライ言葉だな;)に問題があるのではないかもしれないという事なんですよ。
この漫画の場面で解る事は経験出来ない辛さ(この場合女性の生理痛の辛さを男性は理解出来ない)は理解し難いという事と
もし男性にも妊娠の可能性が存在するならば間違いなく女性への性的暴行は激減するのではないかと思う。
つまり性交渉における避妊の男の無頓着さもそこにあって妊娠のリスクが存在しないという当たり前と言えばそれまでの事なんですね。
自分が妊娠するかもしれないという事を男性が考えるとすれば性的暴行に対する抑止力になるのは確実です。
だってもし暴行してその結果男の方が妊娠してみなさいよ。そりゃエライ事になったと思うでしょ。
その子を育てるのは大変な上(社会的に暴行を行った奴と見なされる可能性もある)、堕胎だって苦痛ですよ。
そういう意味で女性が男性に性的暴行を働くという事はその妊娠のリスクを自分が背負っている事になる。
強姦罪が成立するのが男性だけなのはそういう点からなんでしょうね。
それこそ動物のように誰が相手か解らない子供を生んで育てるのに何の障害もない社会であれば問題は無いのかもしれない。
でも私達の住む社会はそうじゃないですから暴行を受けて妊娠した事は精神的に物凄い負担を生み出す。
そういう事態が常に意識の中に存在する女性とそんな妊娠の結果の辛さを考えられない男性の性差がセクハラにも影響を与えてるに過ぎないのかもしれない。
つまり男性の性的欲求の問題はむしろそれが異常であろうが偏愛だろうが行動へと導かれる原因はそこには根本的には無くて抑止力にあるだけではないかと・・・
例えばチェチェンの民族紛争なんかで沢山の女性が暴行を受けたのはそこに住む人々が元々そういう犯罪を行う性質であったのではなく秩序が崩壊した結果そういう行動に走ったわけですね。
(元々犯罪予備軍の様な存在ではなかったのですから)

って本題とは関係ない話になってしまいしましたが。
ただ一ついえるのは本当に愛し合っている夫婦であろうとやむを得ない事情で堕胎をする事もあるでしょう。
だけどその時精神的にも肉体的にも本当に傷つくのは女性なんだよ、ってそれ位の事は考えておきましょ。
それは男性であれは難しいけれど・・・だからこそ真剣に考えないといけないんだと思いますね。





以前倫理学の助教授をしている人が会話の中で「全ての男はマザコンである」と話していました。

これって本当だと思いますか?
だって生まれながらにして母親がいない人(産後に亡くなったとか別離したとか)も存在するわけですよ。
本当ならマザコンのマザーは”The Mother”つまり母性愛から来ているという事になりますよね。
これなら確かに当てはまりそうですがここまでくると別に男性に限る問題ではない事に気付きました。
女性だって母性愛を受けるわけですからマザコン=男という図式もしっくりこない気がする。
まぁ世の中の価値観が基準っていうものは結構曖昧なもんです。
だって最近母親と娘がベッタリとかいう話も聞きますがそれだってマザコンっ言っても誤りではないけどやはりマザコンは男性の形容詞になっているだろうなぁ。
でも全ての男はマザコンっていうのなら結婚相手は年上の女性とする方が多くなってないとおかしい気もしません?
だけど実際には逆ですよね。これは女性から見て男性に頼りがいを求めるという風潮みたいなものがあるからかもしれない、違うかもしれないけど。
それこそ「冬彦さん」(もはや死語ですが)みたいなのって本当にいるのかね?と思うわけです。
勿論そういう人もいるらしい。けどマザコン男の基準は無いのですし人によっても違うだろうからマザコン云々はある意味それ程の意味合いなど無いかもしれない。
でもさ、例えば夫婦の関係を見ると夫が怪我をした時と妻が怪我した時を比較した場合を考えてみよう。
大体夫の方が小さな怪我でも騒ぐ(女性は月経で血を見慣れているせいかも知れないけどあんまり騒がない方が多いと思う、意図的に騒ぐ人はいるけど;)気がする。
そうして薬塗ってだの絆創膏や包帯を巻いてだの妻に要求する。
そして妻の方はそれをやってあげる事になると思う(多分しょ~がね~な~とか思ってる)
でもその逆ってあります?夫が妻に薬を塗るとか手当てしてあげるのってあんまり無い気もします。
いや最近はそうでもないかな?でもまぁ身内の恥を晒すようで嫌だが私の両親では母が夫の手当てをしてあげてもその逆は一度もない気がする。
父のほうはどうしていいか解らない部分もあるんだろうしなんというか母の方は大体怪我をしたら自分で手当てしちゃうしね。
しかも父は自分の怪我は私から見てもほっといても大丈夫だっていう時も騒いで薬を塗ってとか言うんですよ。
自分で塗れる箇所にも塗ろうとしないで母に塗って貰ってた。
多分自分がされる事を当然とか思ってるだろうけどそう思うならなんで逆の場合はしてあげないのかずっと不思議に感じてたんだけどコレもマザコンみたいなものなんだろうな。
母親の役割って子供に対してやってあげる事を決して自分には同じ事を要求しないって事だからね。
そういう風景を苦々しく思ってる私がその事に関して母と会話してると「仕方が無いのよ」とか言っててもう諦め顔なんだけどそれはもう妻が母親役も兼ねるのが普通みたいな感覚なのかしら?
でもそれで夫婦感というか家族感が円満にいくなら問題でもないのかもしれないですけどね。
ただ不安なのは何でもやって貰ってると一人になった時とか困るんじゃないかなぁとは思うのですが?
ただあまりにも当たり前に感じている事はそれが当たり前なうちはありがたいと思わないんだろうなぁ。
母が栄養を考えて食事を出しているのに父は色々文句言うのはなぁ・・・(簡単でいいとか急いでとか)
自分の健康を考えてくれている人がいるというのは凄い幸運なんだけどな~とかいつも思う。
ってなんで私は女性の立場でモノを考えてるんだろうか・・・ただ自分でいうのは間違いかもしれないけど世間で言うマザコンの要素は私自身に当てはめれば少ないと思う。
それがいいかというと多分そうじゃないけどさ。


ちなみにある牧師さんが女性に「結婚相手を決める時はその相手のお父様をよく見なさい。父親と息子は同じですから。」とか言ってたな。
でもそれは間違いない部分の方も大きい気がするけど逆もあるだろうな~どうなんだろう?
私と父では性格は逆に近いと思う。だけど方向性が異なるだけで実は一緒だという部分もある事に最近気付いたけど(汗)
ってわけでいい旦那にはなれそうも無いですな(笑)
でも私の結婚相手に対する愛は揺るぐ事は無いぜ!、と根拠も無く言ってみるテスト。
まぁ言うだけなら簡単だから大風呂敷でも大バーゲンセール並みでもなんでも出来ますな。
ちなみに私の好みは「従順じゃない人。選挙に行く人。」ってくらいです。理想は高くないよ。





私は”わりと”田嶋陽子さんが好きである。

とかいうと周りからは「何故?」とか「どこがいいんだとか?」「おかしい!」と男性からも更には女性からも言われます。
っていうか別に好みだとかいうわけではなく(むしろ好みとは言えない気もする。まぁ実際に会ってもいないのにそんな判断は出来ないし!)それでもあの人みたいな生き方は絶対に出来ないと思う。
生き方というかバイタリティというべきなんでしょうけど。凄いのは認めざるを得ないでしょう。

初めて田嶋さんを見たのはたまたまTVをつけた瞬簡に笑っていいとも!が放映されていた時に出演してたんですね。
内容は解らないのですがその時タモリさんが「そんな事になったら女性が男性を追い抜いちゃいますよ?」とかいう発言があってその後田嶋さんが「ざま~みろですよ!」という感じの会話があって「なんだこのおばさんは!」って思ったのが最初の印象ですね。
その後有名になって様々な番組(TVタックルとか)に出る様になって結構見かけるようになったけど何度見てもっていうか話し聞いててムカつくわけですよ。
だけど多分これは計算してるというか体感しているというかその辺の言い方は解らないのですが彼女とかみたいなジェンダー・フェミニズムの主張は正しい場合もそうでない場合もあるけど何故か自己主張が強いので反発を常に買うんですね。
時々はそれで損をしているようにも思う事もあるわけですよ?
でも良く考えるとそれ位強く、それこそ嫌味に聞こえる位、耳障りに感じる位の主張があって初めて彼女らの発言が社会(というか男性?)に認知されるんだよね。
あれがものわかりいい感じで上品に言ってみなよ、そのままスルーされてしまうに決まってるよ。
今の日本とかの女性であれば当然であることの権利を主張してきたフェミニズムは常に男社会にとっては都合は悪いわけでもあっただろうけど男であれば当然と思っていても女性に関しては実は不合理や不平等な物事は気付かない・問題だという認識さえも持てなかったに違いないと思う。
現在「メーガン法」とかいう性犯罪者の監視とかいう法の推進を男性のジャーナリストが記事に書いているのだがこれがいかに男性に女性の立場を考えない(考えられない)かの良い見本だよね。
この小学生の女の子が被害者になった(更に殺されなければ事件にもならなかったに違いないが)からこそ男性はその酷さを実感出来るに過ぎないと思う。
常に女性(というこの手の犯罪の被害者になり得る存在)の立場に立ってみろよ!と。
それなら何で今こんな事を言い出すんだよと、それは被害者が子供だからより存在の弱い立場だからというのは理解出来るって事でしょう?
男性に暴行を受ける女性の大半は大人だろうが!それに対しては考えて(考えられて)なかったのではないのか?って事ですよ。
性犯罪者は常にいて無くなる事は無いだろうけどその被害者を守るとかいう事は常に考えられて来てるんだけど今回の「メーガン法」の適用をいう男性(ジャーナリスト)たちは子供が被害者に遭ったという酷さを共感出来たからそういう主張をするのだ。
しかし大人の女性がそういう被害を受けた時は何もいわなかったじゃないのか?と言う事である。
つまり常に人が気にしないで済む問題(この場合性的暴行の被害者は女性が常である事)はあまり問題として取り上げようとしないのである。
これは男女の性差云々の問題ではないのだがまぁ世の中は往々にして女性が不利な場合が多いから仕方がない気がする。

つまりフェミニストがなにかを主張する場合には同様の社会に訴えかける時に強烈さが必要になる訳ですよ。
それが大概受け入れられるのはその人の主張があってから大分後になるわけだがそれはそのフェミニストの主張によって認知されたとは感じなくなってからであろうけれども。
たしかにそういった主張には明らかにおかしいだろ?というものがあるのだが(むしろこっちの方が多いな)フェミニストにとってはそうでもしないと駄目だという思いもあるんだろうな~と考えれば当然の事かもしれないですね。
田嶋さんとかのそういったバイタリティはやはり凄いと思う、好き放題やってるようで恩師に決別されたとかいった犠牲も乗り越えているわけだしな。
私にはそんな事をしてまで自分の信念に忠実に生きられないと思うわ。
まぁそういった人達がいたから女性の立場の向上が計られたのは事実だろうしまたマイナス面もあったのも事実だろうけど。
それは社会が模索した結果なんだからどうしようもない気がしますね。

そういう意味も含めて田嶋陽子さんは好きだな~と言ってるんですけどね。
こんな事を書くとなんか私の女性観に対して誤解を生みそうでアレですが(笑)





「笑う大天使」というのは川原泉さんの漫画(白泉社コミックス)です。

たまたま会話の中でその話題の時に出たのが「無知の知」についてでした。
(これは以前他でも書いたネタなのですが最近読んだ本にもっと詳しく書いてあったので再びネタに)
この本の中で「無知の知」「知の知」「無知の無知」という言葉が出てきます(それはまぁ本を読んで頂くしかないのですが)
その話をしていまして改めて思った事がソクラテスの「無知の知」いう言葉についてその意味が「自分は他人と違って自分には知らない事がある(無知である事)を知っている。」話と受け止められているのですね。
最近は結構それは違うよね~という話を耳にしますけど確かに実際はそういった意味ではありません。
ソクラテスは「自分が知らないという事を知っている。」のではなくて(それだと「知識が豊富な人間ほど凄い(偉い)。」といういわゆるソクラテスが嫌ったソフィストの考え方と同じになってしまいます)
この言葉の真意は「真に知あるのは神のみで人間に許された知とは知らないという事実をその通り知らないと思う事にすぎない。自分自身を偽る事無くその事実をありのままに受け入れる。」と言う事なのです。
(以前このネタを書いた時は上手く言えなかったのですが納富信留著「プラトン」(NHK出版)に解り易く且つ明解に書かれていたので表現を借用させて頂きました。)
つまりソクラテスが他の知者より勝っていた点は「自分には知らない事があるんだ」と言う事を自覚していたからなんですね。
そして他の知者達は本当は知らない事であってもそれを知っているんだという「思い込み」をして満足していると言う事です。
(これを納富氏は「思い込みという最大の無知」と表現なさっていました。)
大体「知らない事を知っている」なんて言い放つ様だったら結局知識のある方が偉いって言ってる様なものじゃないですか?
そんなのいい話でも教訓でもなんでもないですよねぇ?


ちなみに「笑う大天使」は映画化されるとの事です。
どんな展開になるのでしょうか?というか配役が難しそうな気も・・・・

今回は笑う大天使の中にある「皇帝のものは肯定へ神の物は神へ・・・」の話です。
主人公達の通うの学校はミッション系なので聖書ネタが幾つか出てきます。

有名な話なのであまり説明は要らないでしょうが簡単にいいますと

イエスを好ましく思わない同士であるファリサイ派の人々とヘロデ派の人々がイエスに罠をかけようとしている話でその罠とはローマへの納税問題でした。
イエスが「税金は払うべきだ」といえばユダヤ教の非常に熱心なファリサイ派を敵にまわし一方「ユダヤ人はローマに税金を払うべきではない」と答えればヘロデ党つまりローマ支配を批判することになり体制批判で捕まえられるというジレンマを含む質問なんですね。
その時のイエスの答えがデナリ貨幣を持って来させて「これは、誰の肖像と銘か」と尋ねる。
当時なら貨幣に皇帝ティベリエスの像が彫ってあるわけです。
そして有名な「皇帝のものは皇帝に、神のものは神へ」な台詞が登場します。
これが相手に一切反論の余地を与えない見事な返答というものです。
この台詞に強烈な皮肉が込められているのが面白い。
大体普段はローマ皇帝の肖像に関してありがたってもいないのに税を払うときになると信仰に対して敬虔になるんですか?というもの。
或いはデナリ貨幣には皇帝の偶像が彫られているんだからローマ帝国への税に使うんだろう。
そしてそれとは別にも神殿には貢物をしているじゃないか?という事実。
つまり神殿の内部でデナリ貨幣を両替(偶像崇拝を禁止しているので古い貨幣に両替をして神殿税を納める事になっている)している。
結局は神殿にも税を納めている羽目になって苦しんでいる民衆の気持ちを代弁して当時の様々な体制(要は王権神授説の類?)を批判したに過ぎないというものであるという話。
そういう事に我慢出来なかったのがイエスなんですね。
何故この話題を取り上げたかというと一昨年国立西洋美術館でプラド美術館展がありましてそこに「神殿から商人を追放するキリスト」という油彩画がありましてそれを見た時どうして神殿で商売なんかしている人がいるのだろう?と気になった記憶がありまして後に本で「宮潔め」という話を読んでこの事があの絵の題材であると気付いたのでした。

話は変わりますがこの「皇帝のものは皇帝へ、神のものは神へ」の例えはキリスト教の聖俗分離を述べているといいますね(単に税金問答だとする意見もあります。私はその意見に賛同ですが)
とにかく聖俗分離がキリスト教では可能であったのは確かです。
しかしイスラム教にそれが可能か?となるとどうも相当難しい。
来年行われるイラクの選挙は手続きさえもうまくいっていませんがそもそも選挙とか議会制度を理解出来ているのでしょうか?
日本は宗教分離は容易でしたし何より敗戦占領下というのがアメリカ主導の民主主義を受け入れる気運になったんじゃないかな?と思ったり。
今回のイラク戦争ってどうもアメリカの独断専行気味であった事の問題点がここにあると思うのですよねぇ。
日本も敗戦という贖罪意識があったからこそアメリカの占領政策をより容易に受け入れられた部分は間違いなくあったと思います。
しかし今回の戦争でイラク国民は多少理不尽を感じてもアメリカが主張する政策を(不満があっても)納得出来るものが今回のイラクには無い気がします。
だからむしろ強引さに反発ばかり起きているのが現状な気がするんですよね~
そうなるとそういった不満を和らげる緩衝材みたいな役割が出来るのは日本が最も適しているかもしれない。
自衛隊等もも国民的なコンセンサスを得た上で活動出来ればそういう有意義な活動も出来そうですが派遣条件がもはや憲法違反だとかいう状態じゃ何も出来ないですねぇ。
その為に改憲がいいとは必ずしも思いませんが色々な意味で国民の総意を確認する必要もあると思います。
そういった事を自分達で決める事無しに常任理事国入りなんて果たせるわけがありませんからね。


ちなみに笑う大天使ではこの「神のものは神へ・・・」という教訓から主人公らは「イタリアの変態はイタリアに(返すのが筋)」という素敵な結論へと導きだす、という素晴らしい?お話ですので是非興味を持った方はご一読を。
いや本を読むってこういう風に無意味に思わない所で知識が繋がって面白いと思うのですよ。
それが漫画だろうが気難しい本であろうが意外な点で繋がりや発見を見つけるという点で楽しいと思うのですよ。


これは補足みたいなものです。
現代戦争論(中公新書)を読んでいましてここにLIC(Low-Intensity-Conflict:低強度紛争)という聞き慣れない語句が出て来るのですね。
LICは簡単に定義出来ないのですが今で言えばまさにテロとの戦いが一番わかりやすい例でしょう。
テロやゲリラは今まさにイラクで頻発している事態ですからイメージもし易いかもしれません。
この本を読むとLICの要因は西欧近代国家からなる近代世界システムの普遍化、
つまり西欧文明や資本主義・民主主義のといった西欧の近代主義による世界の西欧化から来ているとあります。
西欧近代主義のグローバル化が世界の分断・従属・西欧化を世界各地にもたらしそれに伴う宗教問題・西欧化問題といった様なLICの争点を形成しそれに対抗する側(主に非西欧世界側:今で言えば中東でしょうか?)の抵抗を生むという事なのですね。
この本は10年前に出版されているのですがまさに現代の世界における紛争の原因が説明されているので驚かされました。
というよりこれらの問題は同時多発テロによってクローズアップされた問題に過ぎないという事で結局今迄にそういった問題に目を向けようともしていなかったんだと思います。
こういった本を読むと改めて国際感覚の認識の欠如を感じてみたりするわけですよ。
いや本当に知らない事って多いわ(当たり前ですが)

またこの本の記述で印象に残ったのは、
思想・宗教といった「名誉価値」に関わる争点は妥協の余地の無い非和解的な争点である為、一方が自らの思想・宗教を放棄しない限り平和的手段による解決は望めない。
とあった箇所です。
確かにそうですよねぇ・・・
となると余程叡智を絞らないと解決法は見出せないというのに大体が一方的に自分達の価値観を(善意でという点が問題をより困難にしている気がします)押し付ける形になってしまっているのが問題をより複雑にしているという側面もありますからね。

それと笑う大天使の中に聖書の「怪力サムソン」の話が出てきます。
最近観たDVDのONCE UPON A TIME IN MEXICO(デスペラードの続編)にこのエピソードから取ったサンズというジョニー・デップが演ずる役があります。
これがまたカッコいいんですね。ある意味主役のバンデラスを喰っっちゃてるかも?
本来憎まれ役なのに最後には善玉みたいな扱いになってるのはデップの演技の巧さだと思う。
あと本当に音楽がいい映画です。実に素晴らしいのでサントラも聴いて欲しいですね。

笑う大天使から広がる知識の輪というタイトルはともかく
本を読んだり映画を観たりすると様々な面で知識なんて堅い物じゃなく興味とか面白さなんかがリンクするんですよね。
本でいえば昨日まで知らなかった事を本を読んでたった今知った事がそれが昨日ブログに書いた文章に繋がったりするなんていうのが面白いじゃないですか?
まぁそんな事がたまたまあったからネタにしただけなのですが(笑)

だから読書って好きさ~
ちなみにこの無知の意味に関しては「哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々」ちくま新書 に詳しく載っています。







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